香港での修業が原点

中華料理か中国料理か、どちらの呼称にするかは使う人しだい。けれど、馴染みのある中華料理とは思えない別品を味わう機会も増えている。料理人が望めば香港や中国本土へ渡って修業できる時代だ。たとえ現地に行かなくても、中国本来の料理を学ぶ手立てはいくらでもある。確かなのは、そうして鍛えられた料理人によって日本の中華料理が格段に進化し、広がりを見せていることだろう。
その新しい流れの中華料理(ここでは中国料理と呼ぶ)を担うひとり、澤田州平さんは2016年11月に自身の店「中国菜 エスサワダ」を構えたばかり。「香港での修業は刺激になりました。そこで学んだすべてが、僕の原点です」と話す。
澤田さんは1980年兵庫県姫路市生まれ。高校卒業後フリーターをしていた頃に中華料理と出合う。「中華の店で仕事を覚え、料理のおもしろさに興味がわいたのです」そして辻調理師専門学校で料理の基礎を学び、料理人の道へ進んだ。
当初は中華料理人を目指し、専門学校卒業後は各地の専門店やホテルなどで修業を重ねていく。「料理人にもいろいろな人がいる。それぞれに考えや技術を持っているのを知り、比べながら取捨選択し自分のものにしていきました」
才能ある人は、必要な技を身につけるための学び方からして違う。だが、知れば知るほど「本場では実際にどうなのかと考えるようになって、香港で修業しようと、いちど日本を出てみることに決めたのです」と話す。
香港の修業した店で、いちばん勉強になったのは「福臨門酒家」という。現在でこそ旧「福臨門」系と新「家全七福」系に枝分かれしているが、澤田さんが修業した頃は、香港屈指の人気レストランとなり、日本や中国へも出店を果たした絶頂期。とくに日本では、高級中華料理店としてその名が知られていくのである。
伝統的な広東料理はもとより、フカヒレやアワビなどの高級食材を使った料理、豚や鶏を丸ごと焼く料理など「福臨門」の名物料理を直に学べたのだ。「料理手法に即した食材の選び方など多くのことを教えられましたが、初めは日本で身につけたはずの技がまったく通じないのです。技術は基本からやり直しでした」
例えば、同じ焼くにしても、汁気のある場合とない場合ではどう違うか。焼くことで香りを立たせるにはどうすればいいかなど。火入れひとつ、細かいことなのに、教えられるひとつひとつが刺激になったと振り返る。
そうした貴重な体験をしてなお、澤田さんは帰国後に「福臨門」名古屋店の料理長だった袁 家寶(えん かぽ)さん(現在は、日本の「家全七福酒家」全店舗を統括する総料理長)に師事。1年かけて復習する修業を選んだのだ。それが「僕の中国料理人としてのスタートです」と話す。
その後は、グランフロント大阪の「JOE’S SHANGHAI,New York」料理長、心斎橋の「中華旬彩サワダ」総料理長となり、澤田さんの作る中国料理は評判を高めていく。自身も新進気鋭の中国料理人として注目を集めるなか、満を持しての独立だった。
まだ、オープンしたところなので、ほんとの勝負はこれからである。今や香港や中国本土で“本場”の中国料理を体験するなど舌の肥えた多くのお客さんも待ち受けている。しかし、澤田さんはもっと先を見つめる。「次は、僕が香港で刺激を受け学んだことをスタッフに返していく番なのです。食材使いをはじめ、あらゆる技を伝えていきたい。料理ばかりではなく、サービスや雰囲気づくりなどトータルにとらえ、新しい中国料理の店となることを目指しているのです」
それを中華料理と呼ぶか中国料理と呼ぶか、呼称は使う人しだい。けれど、内実は確かに変わってきており、中華料理と中国料理の棲み分けはこれからもっと明快になっていくように思われるのだった。
[2017年1月18日取材]



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[ 掲載日:2017年1月31日 ]