風を感じる 旅は、続く

中谷 哲哉さん
パティスリー・ショコラティエ「なかたに亭」オーナーシェフ

1970年代、パティスリーやショコラティエはもちろん、スイーツの呼称さえ通用していない時代の話。大阪ミナミの道頓堀近く、御堂筋沿いに「インナートリップ」というケーキ専門店が登場した。ピンクの店舗は、黒川紀章の設計。内装は、奇抜なイラストで知られた宇野亜喜良によるデザイン。店名やケーキは、詩人の谷川俊太郎がネーミング。と、話題尽くめだったけれど、1階で販売され2階で味わえたケーキ各種がどれも独創的で格段においしく、従来の洋菓子店にはない“新しさ”を感じさせた。

中谷哲哉さんは、1987年に独立し、現「なかたに亭」をオープンさせている。今でいうパティシエの修業は、あの「インナートリップ」から始めていたのだ。当時、大阪でいちばんカッコいい店に思えたのが修業先に選んだ理由と話す。

学生の頃はスポーツに熱中していた中谷さんは、ラグビー、サーフィン、そして放浪の旅へと行き着く。チームプレイも個人プレイも経験し、最後はただ独り、ルールに縛られない世界で気ままに身をまかす楽しさも知ったことになる。それらを糧にして、新たに歩み始めた菓子職人の道が今日につながっているのである。

同様に、今も続けられているのが、旅という。放浪の旅をはじめ、刺激を受ける旅、好奇心を満たす旅、変化を確かめる旅、いろいろとかたちを変えながら。「その時その時によって、向かう場所も目的も異なってきますけれど」と中谷さん。旅は趣味というよりも、生活の一部みたいに聞こえてくる。

「旅のおもしろさは、日常から離れた場所で、そこに吹く風を直に感じられること、かな。例えば、パリなら、寒くてもテラスで飲むことで、パリのコーヒーの味わいというものを知っていく。旅の心持ちは、遊び心と似ているのです」

また、その風は、別の意味にもなる。「カッコいいと感じたチョコレート専門店なら、チョコレートだけでなく、売り方、客の反応、店舗の造作など何がカッコいいのか見て感じ取るのです」それが、中谷さんの風の感じかたでもあるのだ。

「洋菓子のベースとなる材料は限られています。小麦、卵、バター、砂糖。チョコレートならカカオなど。一つひとつレシピにしたがって厳密に作らないといけません。だから、その上で、柔軟な発想による個々の表現が求められるのです」

菓子作りに必要な緻密さと発想力。気まじめさだけではない、必要とされているもう一方の何かが、中谷さんの遊び心のスイッチを入れるようだ。

「店を構えた当初は、年一回、スタッフと一緒にフランスへ出かけていました。今みたいに情報が入ってきませんから、現地で確かめるための研修旅行ですね」それが、イタリア、スペイン、スイス、オランダなどへと目的地も広がっていく。

近年は、アジアにも目を向けている。既にタイ、インドネシア、マレーシア、ベトナムなどを訪れた。「日本と近いのに違う、その微妙な違いを実感してきました」さらに、もっと近いはずと気づき、直近は、台湾、香港へもよく行くという。

南米へ、カカオを学ぶために出かけた旅もある。「カカオ豆は、コーヒーのように個人で豆を焙煎して飲めるものが抽出できる、という訳にはいきません。チョコレートになるまでの工程がコーヒーよりもずっと複雑ですから」(話題の“Bean to Bar”チョコレートについて話を向けると、個人で優れた豆を手に入れられるスペシャリティコーヒーと同様に見るのは、大きな勘違いであると教えられた)

開業して27年。仕事の合間の家族旅行も、ひとつの旅である。「家族旅行の記憶は、子どもたちの成長とともにあります。これは、仕事というより楽しみですね」
その子どもさんが自立したいま、休みがとれれば夫婦で旅に出るのだという。

もちろん、こうした旅の成果は、中谷さんの遊び心とあいまって、「なかたに亭」に反映されている。全体的な傾向として、油脂は軽め、素材は上質、色はカラフルになってきたとか。それも、海外の旅先で感じた微妙な変化の影響だという。

最近は、かつての放浪の地、沖縄をよく訪れているそうだ。「黒砂糖や泡盛、パッションフルーツなどの質の良さを知り、触発されることが多く、あらためて沖縄が好きなんだと気づかされています。縁があり、陶芸作家の山田義力さんと出会うこともでき、器は店で使わさせてもらうようになりました」

人気店ゆえ、難しそうですが、「なかたに亭」で中谷さんに声をかけることができたら、購入しようとする菓子と旅の関係を尋ねてみること、おすすめです。

[2014年2月21日取材]

「波照間」と名付けられたボンボンショコラ。ミルクチョコレートにパッションフルーツとマンゴーが練り込まれている。波照間(はてるま)は沖縄の八重山諸島にある日本最南端の島の名でもあり、紋様のイメージなど中谷さんの沖縄への思いが込められた一品。
「なかたに亭」にもオリジナルのタブレット(板)チョコレートがそろう。そのひとつ、パプアニューギニア産のカカオから作られた「パプワジー」。フルーツを潰して混ぜてあるような爽やかな後味のチョコレートだ。
パティスリー・ショコラティエ「なかたに亭」
住所 大阪市天王寺区上本町6-6-27
TEL. 06-6773-5240
営業時間 10:00〜19:00
定休日 月曜・第3火曜日
公式サイト http://www.nakatanitei.com/

[ 掲載日:2014年2月28日 ]