人生を導いてくれた『美味礼讃』と3人の料理人

清水 俊宏さん
「懐食 清水」主人

「僕が料理人を意識しはじめたのは、ある本がきっかけでした」。大阪・島之内に店を構える、割烹「懐食 清水」の主・清水俊宏さんは、そう話す。

その本とは『美味礼讃』。(海老沢 泰久著/文春文庫)

辻調グループ校の創設者、辻静雄氏の半生を描いた伝記小説である。辻氏の義父が経営する料理学校を手伝ううちに、料理の奥深さに目覚め、やがて辻調理師専門学校を創立。そして自ら美食家となるまでが克明に書かれている。「学生時代は本嫌いでした。でも、あるテレビ番組で『美味礼讃』の話題が出ていて、なんだかすごく興味を持ちました」。そして食い入るように読み込むこととなる。「辻さんが、奥様とヨーロッパを食べ歩いたエピソードがすごく印象的でしたね。当時の僕は、ミシュランって何? ポール・ボキューズって誰?など、分からない言葉ばかりだったのですが、料理の世界って面白そうだなと思い始めたのです」。

しかし、フランス料理を目指したのではない。清水さんのご家族は、今も大阪・港区で魚屋を営んでいる。「大学を卒業した後、昼間は家の商売を手伝っていました。お客さんに魚の調理方法を教えてあげられたら・・・」と、調理師専門学校の夜間コース(日本料理)を専攻することになった。「当時は料理の鉄人の最盛期。スタジオのゲスト料理人として出演されていた、心斎橋の料亭『鶴林』(現・鶴林よしだ)の料理長・吉田靖彦さんの創作意欲に富んだ料理がすごく印象的でした」。そして清水さん、すぐさま行動に移る。「どうしても吉田さんの料理が食べたくて、ひとりで暖簾をくぐりましたね」。卒業後は、大阪のホテルの和食を経て、念願だった『鶴林』で修業をすることに。「吉田さんは僕に刺激を与えてくれた料理人のひとりです」と清水さん。例えば、ゴマ豆腐は、先付や椀種というイメージが強い。しかし吉田さんは、ゴマ豆腐を板状に薄くのばして中にウニやナスを詰める。その発想力に魅了された。「2番手の先輩は、味付けがとにかく上手でした。ベースには日本料理の基礎がしっかりあるからこそ、遊び心も生きるのです」と清水さんは話す。

その後、有馬温泉の旅館「中の坊 瑞苑」などを経て、98年に自店を開いた。独立後も、あらゆる料理人との交流から受ける刺激を糧に、自身の幅を広げることとなる。

『本湖月』の主・穴見秀生さんもそのひとり。「店を始めてからも、家内とよくおじゃましました。穴見さんの器に対する審美眼の凄さは言うまでもないです。古器はもちろん、現代作家の作品もセンスよく使いこなしていて驚いたのを覚えています。また、この料理どうやって作るんですか?という僕の疑問にも、すごく丁寧に教えてくださるのです」。『本湖月』で出されていた岡山の現代作家のスプーンに一目惚れしたこともあった。しかし、1客の値段が相当高かったため、清水さん自ら、既製品の木のスプーンを削り、漆を塗り、オリジナルの作品に仕立てたことも。「料理や器の大切さはもちろんですが、スプーンや箸といった口に運ぶカトラリーもいいものを使いたい」。その後、『本湖月』で出合った現代作家のスプーンを購入することとなる。「フォルムがすごく好きなんです」と清水さんは目を輝かす。

いいと思えば、何でも積極的に取り入れる、柔軟な清水さん。曰く、「少しでも分からないことがあればついつい聞いてしまうし、皆さん懇切丁寧に教えてくださるんです」。人懐っこい清水さんならではのアクションだ。「あれは自店のオープン直後でしたか。北新地の『川添』の主・川添雅嗣さんと出会い、今もお世話になっています。川添さんならではの素材の扱い方にも、影響を受けました」。そのひとつに野菜の炊き方がある。「例えば菜の花を炊くときは、昆布ダシだけを使うのです。川添さんは、“カツオダシの香りは野菜と喧嘩する。野菜の持ち味が出てこない”と仰っておられました。すぐに実践して腑に落ちたんですよね」。例えば、白和えに用いる野菜も予め昆布ダシで炊くことで、驚くほど素材の持ち味が引き出されたという。

清水さんが今、一番意識しているのは「野菜の香り」。野菜の豊かな香味や食感を生かしきる調理を心がける。例えば彩り豊かな5品を組み込んだ八寸。それぞれの品を薄味に仕立てたうえで、岩モズクとのれそれと子持ち昆布の酢の物には生姜の香りを。また、さいの目に切った河内鴨のローストにはアサツキの新芽や黄ニラを合わせるなど、季節の野菜の生命感あふれる香りを楽しませる。「自分のアイデアだけでは到底無理です。いろんな料理人から刺激を受けるからこそ、今の僕がある。どんなに大御所の方だって、聞けばすぐに教えてくださるのが本当に有り難い」と清水さんは話してくれた。

[2013年2月14日取材]

真剣な眼差しで料理と対峙する一方、フランクな話術が楽しい清水俊宏さん。
『美味礼讃』(海老沢 泰久著/文春文庫)。過去、かれこれ5〜6回は読んでいるそうで、使い込まれた感がしっかり。
「『本湖月』で手にとったスプーンのフォルムが忘れられず」、同じ現代作家さんの作品を、5年ほど前に購入した。
「懐食 清水」
住所 大阪市中央区島之内2-13-31
TEL. 06-6213-3140
営業時間 11:30〜13:00(L.O.)、17:00〜21:00(L.O.)
定休日 日曜、祝日

[ 掲載日:2013年2月28日 ]