料理人人生に影響をもたらしてくれた3つの転機

稲次 知己さん
「トラットリア ピアノ」「ばぁる ぴあの」「ラ クッチーナ ピアノ」オーナーシェフ

大和野菜やヤマトポークをはじめ、古代醤や三輪素麺の手延べパスタといった奈良食材を、イタリアンの皿へと昇華させる稲次知己さん。現在、奈良県内でトラットリアやバールなど、3店舗を展開するオーナーシェフだ。

会社経営のノウハウを学ぶ

「僕の料理人人生には3つの転機があったからこそ、今があるんです」と稲次さん。
1つ目は、奈良の建築デザイン会社「タイムスデザイン」福森弘行社長との出会いだ。飲食事業も展開しているこの会社に、「飲食の世界に興味があって」アルバイトとして入ったのが、22歳の頃。「時はバブル全盛。当時ハシリだったアメリカンダイニングバーやインド料理店などの、キッチンで働くことになりました」。稲次さんは24歳で社員に、26歳には一店舗を任されるチーフとなる。「その頃、会社が新たにイタリアンをベースにしたカフェを出店することに。福森さんから“全権任す人が欲しい”と言われ、即、手を挙げたのが僕でした」。
店舗は約50坪、家賃120万円。雇われの身とはいえ、メニューの構成から30人にも及ぶアルバイトスタッフの育成、売上げの管理に至るまで、稲次さんは店づくりの全てを任された。苦労の甲斐あり、徐々に業績が伸びていったという。「経営のノウハウを知るきっかけを、福森さんは与えてくれたのです」。
リスクなしでやらせてもらえたから、2004年に「ピッツェリア ピアノ(橿原市)」を開く際、経営面での恐怖心がなかったという。(「ピッツェリア ピアノ」はその後、元スタッフにのれん分けをすることに)

コンプレックスからの脱却

2つ目は、「イル・ギオットーネ」の笹島 保弘さんの存在だ。
「僕は有名イタリアンで修業といった、華やかな経歴がありません。だから店を開いたとき、ビジネスはしたいけれど、自分の料理を出したいという考えではなかった。その時は、料理を突き詰めることをしていなかったし、やっぱりどこかで修業をしなければ成功しないのかなぁなんて」、悶々とした日々が続いた。しかし、「笹島さんの料理本を読み感銘を受けたんです。プロフィール欄にはたしか、“食べることが好きで、作る側にまわった”といった内容が書かれていました。 しかも、イタリアでの修業をされていない」。修業経験がないから成就しない・・・という、稲次さんのコンプレックスを打ち破ってくれたのが、笹島さんの存在だったのだ。そして、2006年に2号店「トラットリア ピアノ」を出店。開店当初はシェフを雇い任せていたのだが、シェフが辞め、「僕がおいしいと思う料理を」稲次さん自らが、あらためて作り始めるようになった。

改めて料理と向き合うことに

「経営、コンプレックス解消ときて、ここからは実践編かな?」と稲次さんは笑う。
「3つ目は、2009年にスタートした“クーカル イン 奈良”と、実行委員である土田美登世さん(食記者)と西森陸雄さん(建築家)との出会いです。これは人生で一番大きな転機でした」。イベントそのものの出店が初めてだった稲次さんは、「クーカルにはレベルの高い料理人が集います。だから、自分自身のレベルも高めないといけない。それはもう一生懸命でした」。土田さんと西森さんは、そんな稲次さんの行動力を買ってくれたのだろう。「ふたりは、東京のレストランにも連れていってくれて、いろんなシェフたちと引き合わせてくださいました」。その頃からだ。稲次さんの料理観が変わりはじめた。まず、「あらためて奈良の地の利を生かすことを考えたら、食材に行き着いたんです」。そして、奈良産の素材を積極的に使うようになった。例えば、朝採れの蕪を使ったスープ。「昔だったら、コンソメスープに蕪をゴロゴロと入れ、クリームで繋いでいたでしょう」。しかし、蕪の大小によっては、火の通し方で甘みの出方が全く異なることに気付いた。「それに、小さい蕪は皮つきのまま使ったほうが、より蕪らしい風味が際立つんです」。よって、大和肉鶏のブロードと、皮付きの小さな蕪のみを使い、それらをピュレ状のスープに。その下には三輪素麺の手延べパスタ、トップには蕪の葉を用いたスフォルマートを浮かべた。「クーカル」で知り合った料理人たちとの交流、そして新たな調理技術などに関する情報交換があり、稲次さんの料理観は「余計なものを削ぎ、研ぎすます料理」へと進化していったのだ。
そんな稲次さんに、次の目標を尋ねてみた。「僕が人間として大好きなシェフのひとりが、ポンテベッキオの山根大助シェフです。料理の美味しさはもちろん、経営や多店舗展開などビジネス面でも刺激を受けています。そんな山根シェフを目標として頑張っていきたいですね」と稲次さんは話してくれた。

[2012年2月22日取材]

稲次シェフは「この3年で自分の料理が確実に変わりました」という。やはり、各種イベントの参加や、東西のシェフとの交流などから受ける、いい意味での影響は大きいよう。
「蕪のスープ 蕪の葉のスフォルマート 三輪素麺・手延べパスタ」(3800円のピアノコースより)。
トロリとなめらかな舌触りにつづき、蕪本来の甘みがじんわりと広がる。蕪の葉の香りや、手延べパスタのツルリとした喉越しもいい。
2Fの「トラットリア ピアノ」。なお1Fは、大きな黒板メニューを掲げた、アイドルタイムなしのバール「ばぁる ぴあの」となっている。
「トラットリア ピアノ」「ばぁる ぴあの」
住所 奈良県奈良市橋本町15-1
TEL. 0742-26-1837
「ラ クッチーナ ピアノ」
住所 奈良県奈良市西大寺東町2-1-63 サンワシティビル B1F
TEL. 0742-36-5616

[ 掲載日:2012年3月2日 ]