環境づくり

馬場 一彰さん 『おたぎ』主人

1973年京都府生まれ。芸術大学でグラフィックデザインを学ぶが中退し料理の道へ。『鳥居本』で7年、『和久傳』で10年経験を積み、そのうち伊勢丹店、高台寺本店では料理長を務める。2012年、北大路で「おたぎ」開業。2018年現在の鷹峯に移転。

関西食文化研究会・コアメンバー 門上武司の視点
「居抜きだった以前の店舗から一転し、新たに設計から手がけられた一軒家の新店舗では、料理人がストレスを感じないよう仕事環境を作り『おたぎ』馬場 一彰さんの仕事が変わったように感じる。料理に安定感が生まれ、質が驚くほどに向上した」

ここにしかないローカリズムを表現

江戸時代初期、本阿弥光悦が芸術村を築いたことで知られる京都・鷹峯の一角に2018年に移転リニューアルした『おたぎ』。

街道沿いに建つ平家建ての建物からエントランスをくぐり、裏手の入り口に回り込むと趣のある石庭が現れる。ガラス張りのフロアがその庭を囲む光景は、さながら美術館のよう。瞬時に『おたぎ』の世界に惹き込まれる。

主人の馬場一彰さんは鷹峯の出身。「豊かな自然環境があり、落ち着いているのが鷹峯の魅力。同級生が農家や養鶏をしており、北大路の時から助けられてきました。地元の素材を使えるというのは料理屋にとって大きな強みです」と話す。

移転してからは特に、朝採れの野菜のみならず昼採れや夕採れの鮮度も日常的。例えば夕方に畑へ行って加茂ナスを収穫し、圧倒的鮮度の採れたてを持ち帰ってゲストの目の前で調理することもあるという。特にカウンターでは臨場感も格別だ。

「毛蟹と湯葉の和風クリームコロッケ」やシメの「オムハヤシ」といった洋風の品を織り交ぜる自由闊達な料理に加え、鷹峯でしか出会えないローカリズムが、間違いなくここにはある。

移転する際は駅から離れた立地にやや不安を感じたというが、「京都やけど旅行みたいな気分になれていい」とゲストからは評判も上々。近年は近隣に宿泊し定期的に訪れる外国人観光客も多いという。

提供したい料理から逆算した厨房や空間

新店舗を新たに設計から手がけたことで、仕事環境はどう変わったのだろうか。当時、重視したのは「やりたい料理と値段、箱が見合った店」だったという。

移転を考えたきっかけは、「おかげさまで忙しくさせていただき、広くしたかった」と独立3年目から移転を考えたという馬場さん。市内の物件を探したこともあったが見つからず「場所は辺鄙だけれど、思い描く建物を建てられる。お客様を呼べるなら」と、祖父母が遺した現在の土地に80坪の新築店舗を建てた。

洋風の品を織り交ぜる自身の料理に加え、学生時代にはグラフィックデザインを学び、現代美術をこよなく愛するアート好きから建築家へは「日本家屋ではなく、和モダンな美術館のようにしたい」と依頼した。

カウンター越しのオープンキッチンは、新たに2名加わった弟子の動きも含めた動線や十分な広さはもちろん、「使いやすい場所にあるかどうかで1日の仕込みが2時間は変わる」というシンクと板場の位置関係も緻密に計算。一方で奥まった厨房には、新たにスチームコンベクションオーブンを導入し、低温調理が行えるように。調理の効率化にもつながったという。

意図せず環境づくりにおいて効果的だったのが、カウンター越しのガラスから見える石庭と風通しの良さによるストレスフリーな環境だという。「以前はクローズドの厨房だったので息が詰まることも。今はストレスがかからず、精神的に健康になった気がします。若い子たちも仕事に集中できているように思います」。

移転後は働き方も変え、毎月どこかに連休を確保。また、月替わりの献立の変更前には予約を止め、皆で試作や試食を兼ねてコース全品のシミュレーションを行いオペレーションや味の微調整かける。この取り組みを行ってからというもの、「コースを変更したばかりでもクオリティーの高い料理が出せるようになりました」と話す馬場さん。安定感や質、満足度が向上した理由のひとつだ。

名店での学びから自身の料理に

「個性の両極端な店に身を置いて学べたことは私の財産です」と話すキャリアは、共に名高い『鳥居本』と『和久傳』にある。

『鳥居本』では8代目主人・田畑善規さんから祇園らしい煌びやかでクラシックな料理を学び、『和久傳』では伝統の中にモダンが入り混じる料理を経験。特に影響を受けたのは、『和久傳』の先輩であり、現在『銀座ふじやま』(東京・銀座)を営む藤山貴朗さん。『室町和久傳』の2番手として誘ってくれたという、ターニングポイントを与えてくれた恩師だ。「調理技術を含め、料理人としての姿勢なども教えていただきました」と馬場さんは話す。

また、『和久傳』の大女将・桑村綾子さんからは「コース料理というのは店側からの押し付けだから、最後はお客様に選択肢を持っていただく必要がある」と教わったという。

「お客様の要望をきいているうちにカレーを出すなど、次第に自由になりました」という料理やコースの最後にオムハヤシを追加できる背景にはこうした若き日の学びがある。

サスティナブルであり続けるために

持続可能であり続けるため、大切にしているのは「不易流行」という言葉だ。「古きよき、残していくべき仕事と変えていくべき仕事のバランスは常に考えています」。“美味しくて楽しい”は当たり前。“感動レベル”を目指して仕事することをチーム全体の共通認識として徹底しているという。

その言葉通り、「最近は作る料理人が減って老舗でしか見なくなった古い仕事をやりたくて」と、移転を機に八寸を提供するように。和モダンな空間とクラシックな料理のギャップも見事だ。

一方で海産物の減少や価格高騰など、深刻な海の問題に対し「琵琶湖での養殖など、これからは養殖にも目を向けないと」と話す馬場さん。

本質を忘れず、革新を取り入れる馬場さんのスタンスは、料理や素材への向き合い方だけでなく、移転や環境づくりなど、そこかしこに現れている。

ゆったり広々としたカウンターは7席、奥には8名まで入る個室が。客席からは石庭をのぞむ。冬は風光明媚な雪景色が美しい。
夜になると外観の磨りガラスからふわりと温かな光がこぼれる。やわらかなスポットライトの光も相まって、闇夜に包まれた鷹峯街道沿いに浮かび上がるよう。
「鷹ヶ峰朝採りのエンドウ豆のすり流し」など、近隣の畑で収穫された季節が躍動する野菜を多用。端正な京料理と新しい発見のある革新的な料理が緩急のあるおまかせコースで。
『おたぎ』
住所 京都市北区鷹峯土天井町18
web https://otagi-kyoto.jp/

[ 掲載日:2025年8月20日 ]