食医の教えと最後の食事

「一碗水」の店内は厨房と12席のカウンターがあるシンプルな造り。今年で開店8年目を迎えるが、オーナーの南茂樹さんはずっと一人で料理とサービスをこなしてきた。常連客もつき、カウンター越しにいろいろな人とお近づきになる機会も多かった。1年ほど前、常連客のAさんがガンで死亡したことを聞いた。
「お亡くなりになる1ヶ月前、店へ食事に来られていたのですから、急な展開にいろいろと考えさせられました」。南さんがAさんに供した最後の料理はサメの軟骨を使ったスープ。それは、ご本人が前から所望していたもので、南さんには初めての料理だった。希少な食材をなんとか手に入れ、中国本土や香港の伝手のある料理人から聞き出すなど調理法を探り、作って差し上げたのだ。
南さんが師と仰ぐのは、東京の名店「知味 竹爐山房(ちみ ちくろさんぼう)」の山本 豊さん。日本の学校教育発祥の地であり、中国文化研究の中心ともいえる「湯島聖堂」において中国料理を研究し、その実践のために料理人になった特殊な経歴をもつ。「山本さんは古典の文献を読んで料理を研究されてきた方。修業していても基本から学ぶべきことは多くありました」と南さん。
当時の1990年代、日本の中華はヌーベルシノワ最盛期。和洋の素材を使い、コース料理のように1品ずつ盛りつけて提供するなど伝統的な中華料理を革新する流れが確立しつつあった。そのなかで、あくまでも古典を拠り所として伝承されてきたことを基本に据えた中華料理を追求しているのだから、山本さんの信念が感じられる。
「例えば、中国の歴史で皇帝に仕える医者の最高位は食医。命や健康を司るのに食がいかに大事かが分かる。料理は医術とちがうが、食と医を結ぶ重要な役割をもつ」。万事がそのような教えから始まるように、南さんは中華における料理人としての姿勢や料理に対する考え方をしっかり身に染み込ませたようだ。ご自身も文献を読み込むために蔵書は古典を含めかなりな量になる。
しかし、南さんの場合、師の山本さんの教えをベースに自身の考えや独自の創意を加味していったことが今の高い評価につながっている。「基本は変えようがないけれど、体に良いとされる素材の組み合わせの意味がわかれば、本来の効果を得られる新しい素材を使うことも考えてみる」というような具合。とくに旬の食材を大切にすることで、季節に応じた料理のバリエーションも広がっていく。
南さんはAさんが病に冒されているのは知っていた。「来店されるたびに、体に良くておいしく食べられ、元気になるような料理をすすめていました」。それだけに、最後のスープをおいしそうに口にする姿が忘れられないという。「きっと食べるのも困難だったと思うのです。いろんなエキスがつまり、口にしやすい。スープが理にかなっているのを再認識しました」。
常連客の最後となった食事は、食医の話をはじめ師・山本さんの教えの大切さをあらためて感じたという。「それに、食べることへの執念というか、思いのこもった食事とはこういうことなのだと知りました」。Aさんの件があって以来「料理への取り組みが少し変わったような気もします」とも話す。南さんが、伝統的な中国料理を基本に、どのような中国菜を生み出してくれるのか、ますます楽しみになってきた。
[2009年9月11日取材]


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[ 掲載日:2009年9月18日 ]