ミシュランの星を追う人たちと使命

ミシュラン・ガイド仏版2020年の発表がこの1月27日にあった。パリ唯一のミシュラン3つ星との発表に、「レストラン・ケイ」の名前が挙がって、思わず声を上げてしまった。小林圭さんが当店をオープンしたのは2011年。その当初から、彼の仕事をずっと追ってきた。小林さんが引き継いだのは、MOF(フランス最高職人章)の称号も持つジェラール・ベッソン氏が立ち上げた伝説的な名店。日本人に店を譲るなんて、と非難する声もあちこちから聞こえた。しかし星を進めるに従って、そんな声も止んできた。そして、そのベッソンさんもなかなか取れなかった3つ星を小林さんがもぎ取ったのである。オリンピック競技の優勝者と同様、その目に見えない努力は想像を超えている。クラシックだった店に少しずつ手を加えて、自分らしい店としてきた。スタッフの教育にも手抜かりない。料理の革新も一段と進んだ。しかも今夏には、リニューアルのための工事も控えている。全ては高みを目指すための努力である。彼の目標は、昔から、「世界一のレストランを作ること」で、それは3つ星を取った今も変わらない。スタッフへの労い、また道を築いてきてくれた先人たちへの恩を忘れず、「これからがスタート」と口火を切る。
20年ほど前は、ステラマリスの吉野建さんがなかなか1つ星を取れずに、ミシュランの事務所に殴り込みにもいくということが話題にもなった時代だった。毎年の発表に、吉野さんご自身が一喜一憂しているのを目の当たりにして、ミシュランというガイドの重みを感じざるを得なかった。ようやくニースの松嶋啓介さんとともに、日本人として初めての1つ星を獲得することができたのは2006年。近年は日本人シェフへの評価も高まり、昨年は総計33名の日本人が星を獲得するという時代に突入。しかしながら、正直なところ、日本人シェフがフランス版で最高峰の3つ星を獲得できるとは、小林さんの実力を知りながらも、本当に実現できるとは思ってもみなかった。自国のガストロノミーを守る地で、海外のシェフに対して非常に厳しい。特に競争の厳しいパリに関しては。高級ホテルなど大グループのレストランがひしめく中、個人店で3つ星を目指すことの難しさといったら、昨年降格したが2007年に3つ星を仕留めた「ラストランス」のパスカル・バルボさん以来である。
昨年の3つ星シェフ、マルク・ヴェイラさんの降格、それに続くミシュランを相手取った訴訟問題をはじめ、アンチ・ミシュランのシェフたちも相次いでいる。「トリップ・アドバイザー」とのパートナーシップの開始、あるいはロバート・パーカーさんが1978年に創立したワイン批評誌を手中におさめるなど、ミシュランによるガイドメディアの独占化も進んでいる。昔は広告を取らないことが信頼にも繋がっていたのだが、それが今では多数入る政治的なあり方も含めて、諸手をあげて賛成するわけにもいかない。またミシュランの評価に盲目的に追随するメディア、ビジネスも一昔前に比べ、えげつなく感じる時もある。しかしミシュランの星を得たシェフたちが、「子供の頃からの夢だった」と告白する姿を見ると、感動的でもある。
3つ星という頂点に立ったからこそ、さらなる高みを目指し、物申すことができる。3つ星の刺繍の入ったコック服を着た小林さんの姿からそれを感じた。日本人として、我々の先人たちが目指してきた高くて堅固な壁を壊すことができたという瞬間。それに立ち会うことができた僥倖を感じるとともに、小林さんが言うように、私たち食に関わる人間たちも含めて、日本人がフランス人と対等に、持続可能なガストロノミーへアンガージュマンし、行動していかなければならないのは、これから。スタートの地にたたされた瞬間でもあった。
[掲載日:2020年2月12日]