「麺に学ぶ」

開催日:2020.2.9

Program 3:パネルディスカッション 1/2

参加コアメンバー:山口 浩氏(「神戸北野ホテル」総支配人・総料理長)、山根 大助氏(「ポンテベッキオ」オーナーシェフ)、髙橋 拓児氏(「木乃婦」三代目主人)
進行:門上 武司

門上 グループ・ディスカッションの結果を経て、パネルディスカッションに移りたいと思います。皆さんからいろいろな意見をいただきました。先程、意見を抽出してきました。そのひとつ、松尾さんは日本料理の背景、文化的な茶の湯のところから話をもってこられてプレゼンテーションされました。日本料理は素材を直接感じることではなく、ストーリーがあり、背景があり、それを感じながら料理を愛でて味わうところがあり、そうした部分が麺においては少ないのではないかという意見があったようですが、松尾さん、いかがですか。

松尾 日本料理,和食の中の麺にもバラエティがありまして、各地方にそれぞれの麺があります。それぞれに発達してきている部分があります。ただ、日本食の場合、米という主役級のものがあって、米は主食以上に日本人にとって精神的な大きな存在なので、そういう意味でも小麦粉のものが主役になりきれないところがあるのではないかと思います。

高橋 同じ日本料理の立場から。僕らは麺自体を触ることがないので技術レベルは低いのは事実だと思います。最近では料理屋さんで最後にご飯の替わりに麺を出すこともありますが、お客さんがそれを望んでいない。文化は相互関係であるので僕らがやろうとしてもお客さんが求めないからそれ以上には進まない。例えば、素麺は太さの違いとか各地方ごとの作り方がありますが、パスタのように科学的とかデザイン性など多角的に追求して多様な種類へと発展させるようなことにはなっていない。日本料理では、ガストロノミーの方向で麺を作るということにはないのも事実だと思います。

門上 イタリア料理だけが麺のガストロノミー化に成功しているという話がありましたが、山根さんいかがですか。

山根 僕が思うのは、麺は粉そのものの風味を生かした食べ物だと。もともとは味噌をつけるとか、醤油たれとか、濃いつけたれをつけて食べる。日本料理の場合はだしのうま味が加わるとかありますが、比較的安価なスナックのような食べ物として発達したと思います。イタリアでも麺そのものを食べる料理だったと思う。塩味でチーズをかけて食べるとかアンチョビをまぶして食べるとかの程度だったから、果たしてガストロノミーといえるかどうか。最近のイタリア料理のパスタは、そこまで濃いつけたれのようなものをつけて食べる感覚はなく、普通に食べられる味付けや要素が増えてきて、一皿ですべてを満たす、一皿でフルコース食べる要素をもつ食べ物に発展してきことが、ガストロノミーかなといえるかもしれない。高価なものも使えるし。似たものとして考えられるのは、日本のラーメンかな。ラーメンは発展の仕方によってはガストロノミーになりうる料理なのではないかなと思いますが。

山口 フランス料理はタンパク質と脂質と糖質を使って人々が満足するものを提供する時、糖質のとらえ方が違ったんだろうなと思うんです。今の時代、新しい料理とか話題になっている料理は「生きるための料理」とどんどんかけ離れていっている方がクリエイティブな感じになるという風潮もあると思いますが、もともとガストロノミーの原型は「生きるための食事をどう贅沢に味わうか」で、三大栄養素をうまくつなぎあわせて料理を作っていく。牛ヒレ肉のタンパク質とフォアグラの脂質とマデラソースのような糖質のあるもので作り上げて人々が食べると「これで明日も命がつなげる」ということと高級食材が融合したりしたことが、昔のガストロノミーだった。今は少し変わってきているのかな。イタリア料理は、そこに原点があったと思うんですけど、パスタは家庭料理と違うんですか。ガストロノミーになるんですかね。

山根 そういわれると、わかりません。パスタは家庭でも食べますし、レストランでも出しますから。

山口 レストランでしか食べられないパスタはあるんですか。フレンチの場合は、家庭ではできないものを出すことがあるんですけど。

山根 パスタは家でもできますね。

山口 そしたら、イタリア料理のパスタはガストロノミーとはいえないのかもしれない。

川崎 こういうディスカッションを聞きたかったんです。そもそも、ガストロノミーとは何なのか。ガストロノミーの日本語訳は「美食術」ですが、美食術となると日本料理との相性が悪くなってくる。茶の湯や茶懐石は、そもそも美食ではない、そことの乖離が出てくる。そういう話ができるだけでも僕はよいですが、結論は出ません。ただ、イタリア料理は小麦粉を使ったものがコースの中に入っていることを言いたかったんですね。別に麺にこだわらず、日本料理だと米というデンプンがたっぷり入っているわけで、最初の一皿目に入っていたり、最近だと最後に入れたり、麺に替えようということではなく、デンプンを大切に扱っているということでとらえた方がよいかなと。高級化していく、お客さんからお金をとれるようにしていく意味においては「日本料理は食材にストーリーが必要なので小麦粉という工業製品に近いものとの相性が悪いのではないか」という意見もありました。日本料理は精神性、バックグラウンドにあるものを大切にすることがありますから。最近ではフランス料理もイタリア料理も中国料理でも、そういう世界にもっていく、それによってお客さんからお金をいただく。「誰が、何を担うのか」。外部の業者が担えば安くすむが、そこにあえて料理人がかかわることによって価値を生む。「この食材はどこの村の誰の畑から選んできた」というと「それは大変でしたね。御馳走ですね」と文字通りの馳走になるのではないか、というような発展、価値を生んでいくという話になると思いました。

門上 粉は工業製品という話がありましたが、米は産地や生産者の名前が入ったりするように、粉にも起こりうる可能性はありますか。

松尾 最近、パン屋さんでも「この人の小麦だけで作っている」とかよく聞きます。生産者の個人名を示した米も流通していますが、流通にアクセスできない生産者の方はエリアごととかで集まって精米をするところもたくさんあって、そういう事情があることも僕らは知らないといけないのではないかと思います。

門上 麺というと、うどんとかそばとか細くて長い線状になったものを思い浮かべますが、吉岡先生から中国では「麺というのは小麦粉だ」という話がありました。

吉岡 「麺」の漢字は、左の偏が麦という字で右の旁が面という字。その意味からすると、小麦を板状に伸ばして面にしたものであるのがわかる。それを四角に切るか、長く切るか、帯状に切るかでヌードルの形が変わってくるというのが日本に麺が入ってきた時の感覚だと思います。遣隋使や遣唐使が中国から日本に茶と同じく小麦粉を持ち込んだのですが、平安時代に中国との行き来がなくなって同じ漢字でも日本人と中国人の意味のとり方がずれていってしまったのかな。

「パネルディスカッション 2」につづく