「麺に学ぶ」

開催日:2020.2.9

Program 2:料理プレゼンテーション(試食の提供)&考察[日本料理]

松尾 英明氏
日本料理「柏屋」代表・総料理長
料理
「麩の焼き/麦餅」

料理プレゼンテーション

日本料理に大きな影響を及ぼす茶の湯において、千利休が麩の焼きを多用したのは何故か見直すことから始め、日本の食文化のなかでの麦の役割を探ったという松尾さん。粉にして使うことの意味、素朴な味だけではなく料理に求める最高のものとはなにかを説きながら、現代に通じる松尾流の小麦粉料理二品を披露していただきました。

千利休が「茶会記」で残しているお菓子の中で登場回数が最も多いのが「麩の焼き」です。麺には麦以外のもので作る麺もありますが、小麦で作るものが王道かなと思い、日本料理や日本の文化の中で麦はどういうものかをお復習いしてきました。『日本書紀』から麦は登場してきます。昔は、神がすべて人間の食べるものを生み出していたと。その中に米、小豆、粟とか麦も、食べ物の神オオゲツヒメが生み出したといわれています。その麦は大麦のことであって、小麦はもっと後に出てきます。大麦はそのまま食べられたんですが、小麦は粉に挽かないと食べられない。それで麺に加工する工夫が現れてきたのだと思います。「麸の焼き」は小麦粉を水で溶いて焼いたものです。それが現代のお好み焼きに変わっていったという説がありますが、当時の「麸の焼き」がお好み焼きのようにカジュアルなものであったかどうか。千利休はすべてのものを駆使し客人をもてなす。当時は小麦を粉に挽いて製粉するのは技術が必要なことで一般的ではない。貴重なものだった。それを水で溶いて焼きたてを味噌や木の実を包んで出す。珍しく高価なものだったと思います。時代が下って江戸時代になると、製粉技術が向上して、都市部でうどんなど麺類が普及しカジュアル化したという流れになっていると思います。今でも地方ではハレの日にうどんを食べる習慣があることを考えると、米食よりわざわざ粉に挽いて食べる麦も大切に扱われてきたことが見てとれると思います。

「麸の焼き」を作ります。分量の粉を水で溶くだけですが、塩を少しだけ入れます。昔は味噌とか餡とか木の実を巻いて食べていましたが、今日は車海老を旨煮にしたもの、春なので、ふきのとうと和えた菜の花、玉味噌を塗り松の実を散らします。小麦の炭水化物とタンパク質、海老も入り、味噌の大豆のタンパク質を分解したアミノ酸もある。千利休の「麸の焼き」も、味噌を塗り、木の実を混ぜるのは、デンプン、糖、タンパク質を分解したアミノ酸があり、油脂分を加えるバランスのとれた食べ物であったのかなと思われます。中の具材は菜の花をお浸しにします。ふきのとうのペーストは、揚げ油を用意してふきのとうを二つにパンと割ります。切って揚げてすぐ氷水に落していきます。色鮮やかな若草色が残ります。それを固く絞って新しい太白油を少し足しながら塩を加えて包丁で叩いたものです。ふきのとうはよく使いますが、湯がいて水に晒して灰汁抜きをすれば幾日か要しますけど、油で揚げると程良く灰汁が抜けておいしく食べられるので、このやり方で菜の花を和えていきたいと思います。椎茸は軽く塩をしてアルミホイルに包んで包み焼きにしたものです。小麦粉を水で溶いた後、実際は一晩寝かしたものを使いますが、今日は溶いたものをすぐに使います。「麸の焼き」はお菓子として6月頃に作られ、滋賀県では「麸焼き」といって農作業の合間に食べられたようで、今でも残っているそうです。焼けてきたので玉味噌を塗りまして、大葉を敷き、菜の花椎茸のふきのとう和えを広げて松の実を散らす。車海老の旨煮をのせて巻くだけです。今は粉ものはカジュアルですが、「温故知新」の「麸の焼き」は一つひとつ料理をした具材を巻いて食べてみると小麦の甘さの中に包まれた具材が味わえると思います。

もう一つは「麦餅」です。小麦粉を水で溶いたものを蒸して、餅のようについてみたもの。味は麦の味ですが、餅のようなモチモチ感があります。日本人がなぜハレの日に小豆を食べるのか。あんこだけではなく、小豆粥とか、めでたい時に赤飯を食べたりします。昔から日本人の中で、赤色には特別な力があり穢れを祓い、邪気を祓い、世の中を正常にする力があると信じられていました。特に小豆の出す赤色がそれが強いとされ、ハレの日に小豆を食べるようになった。小豆を甘さ控えめに炊いて餅をついたものに入れました。餅も温かいうちに食べていただければと思います。日本の麺類で、小麦で作るのはうどんですが、うどんはもともとの形が粉をついてその中に餡を詰めて丸く茹でたものでした。「神饌」といわれる神への供物の中で「ほうとう」ともいわれた。丸い形で端っこがない、つかみ所がなく、「混沌」といわれ混沌の氵(さんずい)を食偏に置き換えたものが「饂飩」です。その「うんどん」が「うどん」となった。

麦を蒸してつきたては餅のようになりますが、一度冷まして火を入れ直すと練ってから蒸すまでの置く時間で、触感、テクスチャーが結構変わるので難しいと思いました。今日は水で溶いて24時間寝かしておいて、強火で30分蒸しあげたものを10分程ついたものです。ついて冷まして1日か2日経ってから加熱したほうが腰が強くなり、モチッとした感じになります。「麸の焼き」も焼きたてはソフトでやわらかい感じですが、一晩冷蔵庫で寝かし再び温めると腰が出てきて、そういう部分もあるのかなと。日本料理で粉のものは日常的に使っているわけではないので、今回いろんなことを試させていただいて勉強になりました。小豆あんこも普通より砂糖を少なめで作っています。素朴で、麦には合う感じがしましたので。

麦は世界中に広まっていますが、日本は日本で独特に発達して一つの食べ物としてある。川崎先生は「小麦で作った麺で、ガストロノミーで成功したのはイタリア料理だけではないか」とおっしゃいましたが、日本には日本のとらえ方がある。昔は貴重であり、一部にはハレの日に食べる食べ物でもありますが、日本には米文化があり、それで小麦はそれほど広くは浸透しなかったのかなと歴史を振り返ってみて学ぶことはたくさんあるなと思いました。「麸の焼き」についても、日本料理には茶の湯が大きな存在であるといわれていますが、日本料理の流れを客観的に見てみると茶道は日本料理の亜流に過ぎないが、本流である「本膳料理」などの料理に大きな影響を与えているということが、文化的にも面白い存在だなと思います。茶の湯に接していない日本人が茶の湯が提示した美意識に共感をもつ、日本人の美意識が、そういうところにあるのではないかと思いました。小麦を通じて今回、いろんなことを振り返れましたので自分なりによかったなと思っています。またこの後のディスカッションで新しい問題をお互いに出していきたいと思います。ありがとうございました。

考察

川崎 茶の湯に関しては松尾さんと同感で、商品開発という意味でいうと茶の湯は車のF1だと思っています。F1レースで培った技術が新しい車の開発に生かされる。何かを追求させるんですね。目の前にいる人をもてなそうと。グーッと突き詰めたらそこに技術が必要で、技術の考え方が洗練されてそれが一般の料理にも反映されていくんだろうなと。「麦餅」は触感が面白いですね。仕立ても含めて昔からあったかのような料理になっていたと思います。

松尾 米の粉とかを混ぜてこねてなめらかに仕立てるのは和菓子の世界では昔からあるものですが、小麦粉だけで作るのはなかったと思います。

川崎 会社の研究所が神奈川県の川崎市にあって、川崎大師の名物が葛餅です。関西人からすると、葛かなと思うじゃないですか。川崎大師の葛餅は小麦粉が材料で、しかも発酵させているという謎の製法なんです。発酵させるのはクリエイティビティがあったんだなと。「麸の焼き」を選ばれた理由はどうしてですか。

松尾 茶の湯では素朴な材料を質素に出すといわれますが、よく考えると、今この世界で生きている我々だからそう感じるのであって、当時の流通や環境からしても、千利休が一つひとつ心入れしたものを用意し、あれだけの美の世界を作り上げているのに、食事のそこだけそっけない態度をとっているはずは絶対にない。千利休が「麸の焼き」をよく作ったのは、それなりの良さがあっただろうし、それを多くの人に知ってもらいたいという気持ちもあったと思うので、それを自分なりに作り直してみようと考えました。

川崎 当時は最新技術だったかもしれないということですね。それをあえて今回、「温故知新」で現代の知恵、仕立てで再現されたと思います。小麦粉を水で溶いて長く置くとグルテンが形成されていく。コントロールしてこういう触感にする。麺類の包み系で思うのはヘテロ感です。表面の餅の部分、小麦粉の部分は強い味がない。分けて別々に食べるよりも包んで食べるとおいしい。なんで、なのかなと。

松尾 おいしさをどうデザインするか。料理人はおいしい味を作り上げていくイメージがありますが、自分の頭の中でイメージしたものを、どう構築するか。今まで誰も見つけなかったものを発見するという感覚をもつんですが、そうではなく、おいしさはどこかに存在していて、それがどこにあるかを明確に、どれだけ掘り出すことができるかという感覚だと思っています。

川崎 包む具材の味付けは既存のおいしさ、玉味噌とかクラシックなおいしさがあって、包むものには味がなくて、それらが口の中で混ざり合うことによって味が出る。最初に口に入れた時は味がないけれど、噛んでいくと味が出てくる。逆に外側に味があると、最初に味があって次に味がないものになるというデザインもできるわけですね。何を表現するかによって仕立ては変わる。ヘテロ感は、味があるものとないものでコントラストがあった方が人間はおいしいと思う。理由はわかりませんが。

松尾 味噌はペーストで伸ばしていく。糖も菜の花に和えている。均一に感じるようなものでも、その中に松の実は粒でわざと入れていて、それが歯にあたって崩れていく時に脂分が出てくる。食べている時、松の実が入っている位置とか噛み方によっても味は変化しますから同じ味でないかもしれない。

川崎 薄く流してクレープのようなものを使うとか、炭水化物の麺類は料理人の想像力を刺激しますよね。もっとこうしたほうがいいんじゃないかと、どんどん広がっていく気がしました。「麸の焼き」を日本料理の方が工夫するとどうなるか、イタリアンでこういう形で巻いていったらどうなるかとか、いろいろ想像できますね。

「麩の焼き/麦餅」